今週のお題「〇〇からの卒業」
(記事量3,112文字)
こんにちは(^^)
はてなブログのお題に挑戦!
この支配からの卒業
好きな尾崎豊の曲は「十七歳の地図」
どうもノートンです!
はじめに
①本記事の引用は、著作権法第32条に
定められた引用ルールに従っています。
②批評および研究を目的として引用しています。
③引用された歌詞は『』内に明示しています。
④歌詞の作者への敬称は省略させていただきます。
⑤本記事における歌詞は尾崎豊(1991)
「回帰線」ソニー・ミュージックレコーズ
「卒業」から引用しています。
⑥本記事は管理人の主観に基づく見解であり、
尾崎豊 氏 並びにファンの方々
を傷つける意図はありません。
尾崎豊はそもそも不良なのか?
※ 歌詞の全文は引用できませんのでお手数ですが
お手元に歌詞カードをご用意ください。
尾崎豊「卒業」 第1パラグラフ
『(略)チャイムが鳴り教室のいつもの席に座り
何に従い従うべきか考えていた(略)』
尾崎豊といえば反抗の代名詞のように語られますが
「卒業」の歌詞を読みイメージとのギャップ
を感じました。そもそも不真面目な生徒は
学校に来るんでしょうか?
チャイムが鳴り教室のいつもの席に座っている
ということは遅刻・欠席もしていなければ、
授業妨害もしていない。作者は従うべきか葛藤して
いますが、この時点では考えているだけです。
幻とリアルな気持ち
従うべきものは「自由?」
尾崎豊「卒業」 第1パラグラフ
『校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持 感じていた
(略)
ざわめく心 今 俺にあるもの
意味なく思えて とまどっていた』
幻とリアル(現実)というのは相反する概念です。
それを同時に感じるとはどういう事でしょうか?
実は以後の歌詞の伏線になっています。
そして矛盾した感情に心がざわめき、
自分の中にあるものが無意味に感じて
戸惑っていた訳です。
尾崎豊「卒業」 第2パラグラフ
『放課後 街ふらつき 俺たちは風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコアー 競い合った
(略) 』
全体的に物悲しい雰囲気のパラグラフです。
授業が終わり、学校から解放されて
自由な放課後にみんなで楽しく遊んでいる・・・
はずなのに何故孤独なのでしょう?
またここでも相反する概念が出てきます。
「笑い声とため息」です。
どちらが幻でどちらが現実なのか
そう「笑い声」が幻で「ため息」が現実だと
作者は感じていた訳です。
学校から解放された自由時間に
みんなで遊んでいるけど
どこか孤独を感じていて寂しく
それが意味なく思えて戸惑っている
ということでしょう。
従うべきものは「自由×→力?」
尾崎豊「卒業」 第5パラグラフ
『誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
(略)
力だけが必要だと 頑なに信じて
(略)
友だちにさえ 強がってみせた
時には誰かを傷つけても 』
サビを挟んで第5パラグラフに移ります。
作者が従うべきものは「力」に変わります。
しかしここでは最後に「誰かを傷つけた」
とあります。
果たしてどうでもいい人を傷つけたのでしょうか
それとも作者にとって大切な人を
傷つけてしまったのでしょうか。
明記はされていないので分かりませんが・・・
尾崎豊「卒業」 第3.7パラグラフ
『行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
(略)
早く自由になりたかった 』
時系列的に第6パラグラフは飛ばして
ここでサビが入るとストーリーが繋がります。
遅刻も欠席もしない真面目な生徒なのになぜ
こんな暴力的な行為をしたのか。
それは「力」だけが必要だと信じていて
友達にさえ強がっていた時期なのでしょう。
つまり作者は本心では暴力が
嫌だったのではないでしょうか。
尾崎豊「卒業」 第4.8パラグラフ
『信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
(略) 』
もしかしたら「傷つけた」というのは
物理的にではなく精神的な話かもしれません。
「誰に?」真面目に学校に通っていた作者が
突然暴力事件を起こしたら傷つく人。
もしかしたら「家族」かもしれませんね。
許しあったけど解りあえない、それがもし
家族や大切な人ならやるせないですね。
従うべきものは「力×→愛?」
尾崎豊「卒業」 第6パラグラフ
『やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
(略)
大切なのは何 愛することと
生きる為にすることの区別迷った』
急にパラグラフの雰囲気が優しくなります。
許しあった後の話だとストーリーが繋がりますね。
恋人が出来てほっこり(^^)
ん、でもまた不穏な表現が
「愛すること」「生きる為にすること」
が区別できなくなる? (゚△゚;)え?
生きる為にする事というのは・・・
作者は上品に表現されていますが
打算、欲望、お金、仕事、しがらみなどetc.
を暗示しているのでしょう。
その相反するはずのものが区別できないとは?
「愛」は幻で「生きる為にする事」が現実。
理想の愛はどこへ行ってしまったのでしょうか。
人は何かに縛りつけられる
尾崎豊「卒業」 第9パラグラフ
『 (略)
人は誰も縛られた かよわき子羊ならば
先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか
(略)
これからは 何が俺を縛りつけるだろう』
卒業が間近に迫り、先生への態度が変わります。
先生も何かに縛られている存在にすぎない。
そして自分が卒業して大人となっても先生のように
別の何かに縛りつけられる事に気が付きます。
尾崎豊「卒業」 第9パラグラフ
『(略)あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう』
作者は自分が従うべきものを探しますが...
尾崎豊「卒業」 第10パラグラフ
『 仕組まれた自由に
誰も気づかずに
あがいた日々も 終る
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業 』
驚きのラスト、作者は「闘い」を辞めます。
自由なんてない、仕組まれている。
結局は何かに縛られる。
闘いは無意味、だから「卒業」しましょう。
作者は不良でも暴力主義者でもありません。
真面目だけどあまりに心が鋭く、
自分すら傷つけてしまった。
人は自由になれない、闘いは無意味。
諦観の詩です。
最後に
卒業される皆様おめでとうございます。
どうか物事を世間のイメージだけで見るのではなく
原典、原作や古典を自分の目で見て
自分の考えをしっかり持ってください(^^)
参考にさせていただいたもの
※32分の動画です。上記動画作者様と本記事では
解釈が異なる点がございます。
※スターブクマ等の応援( ・∇・)
いつもありがとうございます!
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